すけのしんのええ。

このブログは、私のように人間関係や心の病で悩む方の支えになるようなブログにしています。 私の目標として頂journey (結婚式、新婚旅行)を目標にしているブログでもあります。

ブログを始めたきっかけ〜心の病で悩んだ私から〜

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ブログに興味を持っていただきありがとうございます😊

 

今回は、何故ブログを始めたかについて、話たいと思います。

 

 

1.仕事で抱えたストレス

私は、学生時代アルバイトで大手服屋で働いたり、塾の運営や講師であったり、肢体不自由の子どもと関わったりする仕事などをしていました。元々、人間関係を大学時代に拗れる出来事があって人間不審なところもありますが、ある程度の人間関係を保って仕事をしていました。ですが、「この人は、苦手かも」や「自分の話は、面白くない」と人を選ぶようにもなっていました。まだ、自分がその環境にいてても良いと思う人と関わっているのでしたら、まだ付き合っていられましたが、本当に苦手と思う人になると先輩や後輩であっても全く自分から話せなくなったり、会話に入らなくなっていました。最近していた仕事でしたら、いつも働くメンバーは、私以外同じ仕事をしていて、私一人だけ、違う内容の仕事をしていたため、中々話も合わせられませんでした。その仕事を6年していた間に少しずつストレスが溜まっていきました。自分がストレスと感じることは、人間関係という事が少しわかってきたのが、前の仕事です。そこまでは、自分なりストレスの発散ができていたので、また頑張ろとうと思って働けていました。ですが、働いていた中でそのストレスが大きくなってきました。

 

先ほど、肢体不自由の子どもと関わる仕事をしていたと載せましたが、そのことで、体へ痛みが出始めてきました。理由は、毎日その子を抱えたり、車椅子を運んだりしていて、腰を痛めたからです。腰を痛めてから、色んな人に相談し、通院することになり、ここから私の病院生活が始まりました。そこで更にストレスを拡大させてしまいました。

 

 

2.腰を痛めたことによって

 腰を痛め通院し始めてからのことです。レントゲンの診断からヘルニアの可能性があると言われました。毎日、腰に負担のかかる仕事をしていたため、痛めたように思います。私の仕事をすぐ代わってもらえる人がいる職場でしたら、少し休んで代わって安静できただろうと思いますが、それができないため、そのまま働いていました。働くために、その医者からブロック注射を勧められ、通院の度、ブロック注射をすることになりました。一度の通院で二本の注射をうっていました。通院する度に、痛い想いをしていたのもストレスに繋がっていると思います。またその医者も私のような人をみて、注射さえうてば、良いだろうと考えてそうな対応でした。

 

何日かして、その医者からMRIを撮るように勧められ、MRIを撮ることになりました。私は、元々、筒のような狭い場所に入ると怖くなる、閉所恐怖症なところがあると思っていたので、心配になっていましたが、自分の身体のためと思い、MRIを撮ることを決意しました。

 

撮影当日、違う病院でMRIをとり、私は、閉所恐怖症かもしれないと伝えましたが、何の対処もなくそのまま機械に入りました。その入った数秒後、怖くなって一度出してもらいました。あの時は、頭から冷や汗が出たり、胸から動悸が起こったこともハッキリと覚えています。技師に怖いと言っても何の対処もしてもらえず、撮らないと話にならないと言われ、何とか30分耐えてMRIを撮りました。撮ったあとは、フラフラになり、喉のあたり蕁麻疹が出ていました。二度とあの中には、入りたくないくらい怖い想いをしたのを今でもハッキリ覚えています。この体験が、私のストレスの沸点に達しました。

 

 

3.MRI撮影後の生活

MRIを撮った日から、私は二週間ほど、喉につっかえるような感じがし、食べ物が喉を通らなかったり、味覚が感じなくなりました。職場では、周りから心配され、みんなから心配の声をかけてもらったり、様々な食べやすいものを勧められたりといった生活になりました。そのことでも、言われたり、食べ物を持ってこられたりと私自身ある意味、有り難迷惑のように感じていました。その状態が続いても、仕事が辛いだけでしたので、地元の掛かりつけの病院へ行き、心療内科を勧められ、その病院に通院することになりました。腰の病院と並行して行くことが困難な状態であったため、この時から心療内科のみになりました。この病院から今の病気がわかるきっかけとなりました。

 

 

4.心療内科後、精神科へ

 心療内科に通院では、私の食べれない悩みや生活、過去についての話を聞いてもらい、薬を出してもらいました。その薬は、抗鬱薬です。それを飲んでから、食欲が出てきて、すぐご飯は、食べれるようになりました。食べる面は、改善されましたが、医者は、別の面を気にするようになりました。最初は、何でその薬を飲まないといけないか、意味がわからなく悩みました。今となっては、よく分かるようになりましたが、その当時医者に理由を聞いても教えてもらえず、通う度に気分や気持ちだけの話しか聞かれるしかなく、5分くらいで診察も終わるので、別の病院へ行くことを考えました。ネットで調べて、違う精神科の病院に通院することにしました。

 

 

5.精神科へ通院により心の病を知り、そして現在へ

精神科の医者に出会ったことで、私の心の病を知るきっかけとなり、今のブログの仕事をしようと思うきっかけとなりました。

精神科の医者からは、どのように辛いか、どんな症状であるかを聞かれると共に、過去について聞かれました。私の過去についての話は、簡単に言いますと失敗体験がほとんどです。その様子を医者が知るのに親も巻き込むくらいでした。ということは、子どもの頃の様子から現在までの経由が心の病へと導くことになったと思います。

 

私は、過去のことを今でも嫌なことや失敗したことをよく覚えています。親から聞くと幼いころ動きまわっていたや落ち着きのない子だったのと、小学校のとき、意欲的に発表しよう「はい、はい!」手を挙げていたのに先生に「黙れ!」と言われたことなど様々です。家では、親に自分の思ったことや意思を伝えると、親からあれはダメ、これもダメと言われ続けてきました。高校受験、就職活動で自分が行きたいと思うところを伝えても親からすると、何でも気に食わないようで、何でもダメと言われ続けてきました。思い通りにならなかったら、イライラしたり、人の話を聞かなくなっていたのと、自分の好きなことしかしないようになっていました。

 

この昔の様子や医者は現在の仕事の様子、人との関わり方を聞いて、病名を出してきました。

その病名は、ASD自閉症スペクトラムアスペルガー症候群)やADHD(注意欠如・多動症)、全般生不安障害、適応障害とあてはったり、あてはまらなかったりするがその可能性があると言われました。とにかく心の病であるのには変わらない。自分は、上記のような病気であるのかと悩まされました。その後も病院で通院し続けてきました。するとある内容から私の病は、ハッキリしてきました。

 

私は、好きと思ったら、そのことにとことん依存するくらいな性分でした。趣味や恋愛、考え方や意見など、自分の範疇内のことについては、なかなか考え方を考えられませんでした。またあと、人間関係やお金の面など、現実から離れたいと思うこともあり、ギャンブルばかりしていました。このことから医者は、私を「境界性人格障害」と診断されました。

 

境界性人格障害は、境界性パーソナリティ障害とも呼ばれ、不安定な自己 - 他者のイメージ、感情・思考の制御不全、衝動的な自己破壊行為などを特徴とする障害である。一般では英名からボーダーラインと呼称されることもある。旧来の疾患概念である境界例と混同されやすい。『引用、ウィキペディア

 

ということらしく、今後、自分が落ち着いて取り組める環境でないと、なかなか改善されないと言われました。なので、親元を離れ、現在の仕事を続けられなくなりました。今もその心の病のため通院を続けています。ブログをしようと思うまでは、医者の言われる言葉からかなり悩み、辛くて、大人の私ですが泣いてばかりいました。

 

 

6.ブログをしようと思うきっかけ

働けなくなるということから、現在の仕事へ移行するにあたり、医者するからするとどうして移行かと悩んだようです。私は、「もし一人で働く自営的な仕事でしたらどうですか?」聞きました。すると、それがあれば、一番良いということで自営的な仕事をしようと考えました。

自営なら自分の好きなことが良いと思い、好きなことを紙に書き出しました。書き出していて、私は、元々文章で読み手の心を動かしたり、考えたりできる著者的な人を尊敬していました。また普段読む本も自己啓発本を好んで読んでいます。自分が知っていることを相手に伝えることが好きでした。

 

またお金稼ぎもしたいとも思っていました。私は、よくネットでYouTubeを見ます。一番よく見ていたのがスロット系でした。そこで、ある方の存在を知ります。それは、

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沖ヒカルさんです。

沖ヒカルさんは、パチスロライターであり、日本プロ麻雀連盟所属の雀士でもある方です。その人の動画を友人の勧めで見てからハマってしまいました。いわゆる笑いの一目惚れのような感じで、話し方や生き様が僕の心のに打たれたようでした。沖ヒカルさんのように、人を楽しませたり、ネットで面白ろさを伝えることに興味をもっていました。実際に、私は、沖ヒカルさんに二度と会いに行きました。今も時間を見つけては、会いたいくらいです。沖ヒカルさんをきっかけにネット業界という手もあり、幅広く色んな人に知ってもらえることで、多くの考え方を知り、自分の興味を引き出せるという点に気づきました。

 

上記の二つが合致し、ネットでブログを書いて色んな人に知ってもらい、自分の興味を読み手の心を動かし、考えてもらえるような存在になりたい。と考えたことがブログを始めたきっかけです。医者にこのことを伝えると、自信が持てたなら良しと応援してもらえたので、とてもやる気になっています。この仕事に取り組んでから心の病で辛いと感じることが緩和されて、落ち着いた日々を過ごしています。

 

 

7、終わりに

まだ私は、ブログを始めたばかりですが、これからどんな内容を書こうかや好きなことを考えているとワクワクしています。またこれが生活ができてくると仕事が楽しくなると期待しながら、この文章を打っていました。また、私のように心の病を抱えてる方や様々なことで辛さを感じている方に、自分の好きなことをとことん考えてほしいです。好きなことを考えることで、どんな型であれ、関わる人に伝わることができると、自分への自信となり意欲にもなります。そう感じてもらえるように、こらからも好きなことを考え続けると共に、知識や情報を得て皆さんにお伝えしていきます!

 

長々となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました😊こらからもよろしくお願いします🙇